皆さんは仕事やプライベートにおいて自分の思いと違う言動をしていると感じることはありませんか。
周りの方を気にするがあまり心で思っていることと違う言動をしてしまった。何でそんなことしてしまったんだろうと後で後悔することもあると思われます。人は詭弁な活き者です。それが容易に出来てしまうのが人間でもあるのですが。
ただ。それを自覚できる人は幸せです。それを諦めてしまった人や気づいてもない人は自身の心にどれだけ負担を掛けているか計り知れないからです。そもそも。自身の心は自身のものではありますが、それを自覚できなければ自身の心を護ることさえ出来なくなります。
それはいずれ心の余裕を失い、やることなすこと不幸へと落ちて行きます。
ただ、この心のカタチを読まている方たちは、少なからず自覚することになります。それは、心に興味を持ち出しているからです。
そして、ここの合言葉『いつも気持ちのままに』を自身のものにすることで、心の余裕を知ることになります。
例えば、趣味は何ですか?あぁ、趣味が無いと言っている方。心に余裕がないですね。でも、趣味は必ずあるのです。無趣味も趣味の一つですから、その趣味から趣味を得る趣味に変わる可能性(よゆう)があります。
話がそれましたが、自分の趣味なら何の気兼ねなく言動がおき、心と一致することをしているはずです。それには好きなことだから当たり前にできてしまうことにあります。楽しいこと。得意なことは幸せになれるからです。
それが、気持ちのままになる方法だからです。
それに対し趣味ではない事。例えば仕事が趣味とは違う方は、周りを気にするがあまり感情を湧かしてませんか?
それが心の余裕をなくさせ心と言動を変えさせていたのです。
何をするにも自分がすることなのに、知らず知らず趣味とそれ以外を分け物事を見るようにしていたのです。簡単に言うと好き嫌いで物事の扱いを変えている自分が心を狭くし残った心の余裕すら感情で埋め尽くし、パニクらせていたのです。自分自身で。
先の例のように自分達は物事(しゅみ)を気持ちのままになれることが出来ている。ただ、感情が邪魔をしてそれが出来なっているだけなんです。
気持ちのままになるだけで良いのですが、心を自身のものに出来てないばかりに感情に心が扱われてしまっているのです。
ただ。これにも問題があり心を知らなければ心に相談することもできません。護るべき心が何処にあるか知る必要がありますね。