心とは自身のためにあるもの
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人生を歩む (心の道2)

人生には、出来事がある度に繰り返し2つの道があらわれる。それは、幸せにつながる道と幸せにならない道。

その道を選択するのは自身の心であり、その選ぶべき道の答えを気持ちが知っている。人には避けて通れないこともある。それなときは、幸せでないと知っていても進むしかない。

はてさて。それは本当に幸せにならない道だろうか。意味は違うが「聞くは一時の恥 知らぬは一生の恥」ということわざがある。それをパクって心の道では「通るは一時の不幸せ 避けて通れば一生の不幸せ」という。

その意味は、避けては通れない出来事ではあるが経験することにより、それを糧に幸せに近づくチカラを得られるかも知れない。そのチカラとはものごとを「納得」するチカラである。

人が何かをする時には必ず結果が伴う。その結果が上手くいくか、上手くいかないかのどちらかになる。上手くいかなければ幸せでないことも同じく知るだろうが、ことは、どちらの結果でも幸せに向かえることが自覚できれば決して間違いとなならない。

人には物事を理解することができる。突然起きてしまう物事もあるが、それは心の準備が出来てないときに起きる現象だ。ひとは、事前に想定することを知ってはいるはず。だから想定していたか、していないかにより突然と思わせる。

ぽち☆は「こんなことも起きるのかな」と普段から思っている。それは、具体的なこともあれば、そうでないこともある。いずれにせよ、幸せでないこともあることがあり得るといつも想定している。

だから、避けては通れない道も通れるチカラがある。どんな結果でも納得し、一旦立ち止まり心で深呼吸する余裕すらある。「私、失敗することはない」という言葉をTVで言っていた。そう、失敗は結果を納得できない人が失敗とするしかなく、自身をそう説得しないといられない。

ただ、それは感情を心に残し心の道を歩むのに足枷にもしてしまう。ことが小さくてもいずれ大きく心にのし掛かる重さとしていまう。

人は、幸せにならないことは好まない。だから、そうなることを想定することすら避けて通っていたため、幸せな結果しか求めてなかったんじゃないでしょうか。それでは、失敗を繰り返す人生を歩んでその先に「幸せ」にたどり着くことは、1等の宝くじが当たるより遥かに可能性をなくしてしまう。

ならば、気持ちのままに納得できる心の道を歩むべきですね。