たまにこんな人を見かけます。自身に起きた物事を解決するためにもがき、それの理由に対し解決しようする人。例えば、仕事で報告書を作成することになり、丁寧に作成したにも関わらず突き返されてしまう。
大概の方は、その突き返された理由を考え直しているんじゃないでしょうか。ただ、人が書くものであり書き方がある程度決まっていても10人が書けば10通りの書き方となります。それに結局はそれを見る人が異なれば見方も変わってしまいます。皆さんは、報告書に限らずそんな経験がありませんか?
自分はこれで正しいと思っても、その思いを無にされてしまうことは、とても嫌な思いすることになりますよね。
ただ、これにはそうなる原因が端からあったのです。それは、理由を原因として解決しようといたからです。
大概の物事には、トラブルがあり得ます。そのトラブルには必ず理由がありますが、その理由が無くなったから良いかというとそうではありません。
結局のところ、理由は起きてしまった出来事の理由であり、本来解決するべき原因が解決できてなければ何の解決にもなってないのです。その原因を理由と間違えれば解決すらする方法が解らなくなります。
そして、その原因が心であることと知る必要があります。簡単に云えば「幸せ」ではないということです。どんなに下手な報告書であっても相手を幸せにさせる報告書なら最高な出来と言えるのです。
それを相手が否定することは出来ないし、することもあり得ないのです。原因が相手の心を幸せにできてないことが問題であり、それに気づいてない自身が端から原因を創ってしまっていたのです。