皆様は「こころ」という漢字を知っておりますか。
もちろん知ってますよね。
このサイトの至るところに現れる言葉です。皆さんはその字をどこで覚えましたか?
そう。
小学生の頃に先生から『心』という漢字を習ったと思われます。
そして心の意味を知ったのもその頃かと思います。
たぶん、その意味は何となく知っている程度で、例えば「精神が司るところ」などと辞書に書いてあります。
辞書に書かれている説明は、今皆さんが記憶することにそんな変わりがないと思われます。ただ、それ以上、心について知っていることがほとんどないんじゃないでしょうか。
それには辞書にある「精神」とは。それが「司るところ」を知る由もなければ、それを習うこともないのです。
それでも、自分に心があることを「何となく」判っているはずです。
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「心を知らないと」
人は人生において悩むことが多々あります。
そのようなとき、どうしてそうなったのか考えてしまう癖が人にはあります。知性を持つ人間であればあり得ることです。
もし、悩んでも数式のように解ける問題なら人はそうするでしょうが、人生の悩みはそう簡単には解けない難問が多々あります。
そもそも。心を知らないにも関わらずどの心と向き合い答えを見つけようとしているのか疑問です。心をしらないのに次々と考え出される答えに信頼はあるのか。
それでまた悩みが増したりすれば答えが間違っていたのではないかと疑心暗鬼になる。当たり前です。心のあるところさえ知らないのだから、どの心が今まで答えを出していたのかになります。
心を知らないということは、極普通にそんな状況を作り出していたのです。
目の前で起きている出来事は原因でなく「理由」にすぎません。その答えを無理に見つけようとすれば、必ず『感情』という悪戯っ子が自身の心を揺さぶりだすのです。心を知らないということは、そんな状況を絶えず持つことになります。
それもこれも本当の原因が別にあることに心を知らないことが関係します。
本当の原因とはいつも同じということに。