人は誰しも喧嘩をするかも知れません。また、喧嘩を見るかも知れません。そんな喧嘩について、心のお話をいたします。
皆さんも同じだと想いますが、喧嘩はしてもされても嫌なことだと思います。ところで、喧嘩には2種類の喧嘩があるのをご存じでしょうか。その2種類の喧嘩は、『大人の喧嘩』と『子供の喧嘩』といいます。
子供の喧嘩は、感情の喧嘩とぽち☆はいいます。
それは、一旦、喧嘩が始まると感情が露となりなかなか収まらなくなります。それもそのはず。『感情』の喧嘩だからどちらかが負けるまで収まる術を知らないからです。
そんな喧嘩は、収まるどころか感情が感情のぶつけ合いになり、結果、我を忘れるところまで発展する可能性があります。そんな喧嘩は時として、相手を殴ったり傷つけたりすることにもなります。
そのとき本人は、ハッ!気がつき喧嘩が収まるものですが、すでに事遅し、相手にも、そして自身にも取り返しがつかない心の傷を創ってしまうものです
それとは対照に大人の喧嘩は『気持ち』の喧嘩となります。
それは、決して相手を傷つけることがなく、相手にぶつけるのは拳ではなく、拳の代わりに自身の『気持ち』をぶつけるのです。
それは、お互いの気持ちをぶつけ「幸せ」につながる喧嘩として、心の話し合いとなるのです。まぁ、喧嘩とは云っておりますが、常日頃の会話となんら変わりなく、時に声を荒立てても自身の心が伝われば収まりもつきます。
大人の喧嘩は、お互いの心を知るための喧嘩であり、相手を殴る必要もなくお互いが幸せになるための大切な喧嘩をすることになります。
ただ。大人の中にはすぐに手を出す大人っておりませんか。そんあ大人を「アダルトチュルドレン」といい、身体は大人に育っても心は子供のままの大人のことです。心の話をできない人にありがちですが、自分たちの周りにも意外といたりします。
皆さんも胸に手を当てて自身の喧嘩を振り替えって見てください。どちらの喧嘩をしていたか。やっぱ。好きな人へは手を出しちゃあイケませんよねぇ~。