心とは自身のためにあるもの
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心は異なもの

心は異なものです。
それは、自分のもののようで自分のものでないように思わされるからです。誰もが『心』があるといっても、心の何を知って「自分に心がある」と言われるのか。

たぶん。それは心に振り回される出来事があって、それらに心に頼っているにすぎないと思われます。例えば、楽しいことをしている時はさほど心に頼ることはありませんが、一旦、悩みや悲しいことが起きれば心に頼り問いかけていることです。

だからといって自分の心だからと都合よくバンバン解決できる心ではありません。困ったときだけ頼るのは人だったら嫌がります。それは心も同じで度が過ぎれば感情を湧かし出します。そもそも、自分の心の何を知って何処ある心に頼っているのか。そんな心を知らずして心が答えを出せるはずがありません。

こんなことありませんか?
親友とはいえ関係が崩れれれば助けてくれなくなります。都合よいときだけ頼ればいずれ去っていくことにもなります。それも当たり前ですよね。相手にも心があるのだから自分の都合だけでは相手の負担しかないからです。

自身の心も相手の心も幸せになりたがってます。互いの心の目的が同じと知らなければ「信頼」を築こうとは出来ないのです。悩み悲しむことはあります。それでも互いが支え合うのが心なら同じ重さで支え合わなければ関係は崩れてしまいます。それもこれも心を知らなければ何を支え合うのか解るはずもありませんが。

だから心を異なものと思わせてしまうのです。自分自身で。